ビルの谷間に残された都会の中の歴史的遺産 玉川上水
新宿駅から京王線に乗ってたった一駅。笹塚駅の目の前にV字型に残された玉 川上水跡があります。
玉川上水は江戸時代の承応2年(1653)徳川四代将軍家綱の代に開削されたといわれています。多摩川上流の羽村の堰から四ッ谷の大木戸まで、武蔵の台地の尾根筋を延々と43キロメートル。昭和の中頃まで、都民の飲料水を届けてきました。この上水は『お上の水』とも呼ばれ、両堤には雑木を植えて、大切に管理され育てられてきました。
それから三百五十年近く、脈々と緑の帯は守られています。
この区域は自然をもとに戻すという意味ではビオトープではありません。ですが昔ながらの田園風景を都会の中に残した貴重な歴史的遺産として後世に伝えたい場所のひとつです。定期的な刈り取りが行われている東側のエリアは、明るく開けた草地が主体で思わぬ 動植物たちに出会えるのも、ここの楽しみひとつです。
古くから残されている環境のため、今では高尾山あたりに行かなければ出会えないような植物たちが生き残っているのです。乱獲防止のため、具体的に紹介できないのは、ちょっと残念です。西側はうっそうとした林のエリア。谷川の雰囲気が残されています。
なつかしいホタルブクロも、花の盛りに刈り取られて
しまう。水道局の管轄下にあり、ビオトープとしての管理
を受けているわけではないのだ。 しかし、この、理不尽
とも思われる刈り取りが続けられてきたおかげで、明るい
草地が維持され、野山の植物が生き残ってきたことも
事実だ
選択的に人の手を入れて始めて地域の自然は守られていきます。しかし、ここはビオトープとしての管理をしているわけではないので帰化植物も多いのです。
それでも多くの小鳥や昆虫たちのよりどころになっています。この上水は都心に近づくにつれて、暗渠化されていますが、それでも30キロをこえる区域は当時のままの姿を今に残し、地域ごとで管理は受け継がれています。野鳥が雑木の実をついばみ、草むらではバッタが跳ねる。子供達のためにも保護していきたいですね。
玉川上水
昭和40年に水道としての役目を終え水流も途絶えました。が、翌年に市民は『玉 川上水を守る会』を結成し、水路が見える状態で清流の復活を陳情。水が流れなかった二十年の期間を経て、再び市民にせせらぎの音が戻りました。一般の人々の意識の高さが、自然の未来の明暗も別けるのですね。