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たとえば「詩」と「詩のようなもの」。

この違いを何となく理解させてくれたのが、大江健三郎の何とかいう小説だった。

タイトルが思い出せない。w

その小説の最初の方に短いフレーズが掲げられていて、これは一見詩のように見えるかも知れないけれど、実を言うと小説の中のしかるべき場所に配置されたとき強烈なエネルギーを放射する機能を持った装置なのだと言うようなことが書いてあった。

なんかボネガットみたいな書き出しでおもろいなと思ったような記憶がある。

で、その小さな装置のあまりにも強い効果に驚いて、「詩」がいまだに何だか良くわからない僕でも「詩のようなもの」なら使う事が出来るかも知れないなどと言う、大それた事を考えたのだった。

アートとイラストみたいな?、そんな割り切り方が、頭の片隅に巣喰うようになったのだった。

庭の写真について考えさせてくれたのは、FBでも繋がっているモウ様だ。

写真は美しく撮らなくてはいけない。

当然みたいな話なのだが、庭園の世界を構築し共有するためには写真は美しくなければいけない。捕虫網でかすめ取るように、花びらにとまった陽光の破片を機敏に。

そして、ささやかな庭先にはこんなにもたくさんの美が訪れて、僕たちを幸せな記憶で満たしてくれるんだという、そんな誘惑を本のあちこちに仕掛けなくてはいけない。

「…..のようなもの」に話を戻そう。

本の各章の導入部には、「詩」ではなく「詩のようなもの」を配置した方が、僕の性分には合ってるのかななんて思って書いたのが、「小さなビオトープガーデン」だったなぁってな、それだけの話しなのだが。

そこから先のお話は、ヒミツ。w